我々は幸運だ。アメリカ発祥のシェリダンスタイルカービングがほしければ、いや、世界有数の超一流のシェリダンスタイルカービングを目の当たりにしたければ、大塚孝幸の名前を探せばいい。行き着く先には、息をのむ作品が待ち受けている。
似たものなら数多ある。だが、似ているだけのものが本物に生まれ変わることはない。現在、本場であるアメリカであっても、正真正銘のシェリダンスタイルカービングの施された作品を探すことは困難と言っていい。百年以上の歴史を持つアメリカ伝統のシェリダンスタイルカービングだが、馬具の需要が減ると同時に技術の継承者も激減した。
こうした手技の継承には道具がともなう。特に微細なパターンを作り手の感性と伝統を融合させつつ仕上げるシェルダンスタイルカービングにとって道具選びを誤ると命取りにもなりかねない。そのため、このカービングをマスターしていた先達達は、徹底して道具を選び抜き、技術を伝授すると同時に、そうした道具もまた後継者達に伝えていった。しかし、後継者がいなければ、技術もそこにパートナーのように寄り添っていた道具達も行き場を失う。そうして、本物のシェリダンスタイルカービングが失われていく。
そんなシェリダンスタイルカービング受難の時代にあって、大塚は日本人でありながらアメリカへと飛び込んでいった。
「本物を作りたい、という一念でした」
はじめからブレていない。単身渡米した大塚はこれまで唯一人として日本人の弟子をとったことなどなかった伝説のマイスターの元を訪れる。だが、その男ドナルド・ブラウンがおいそれとノウハウを教えるはずもない。住み込みで弟子入りした大塚は、五感をすべて動員してその技を吸収しようとした。そうした真摯な姿勢がマイスターにも認められ、大塚は徐々にその技を伝授させるようになった。
「有無を言わせぬオーラが漂う作品が目の前で出来上がって行く。1秒だって見逃さないつもりでした」
笑顔を浮かべて当時を述懐する大塚だが、その努力はまさに不眠不休だったに違いない。マイスターの身の回りの世話から作業場の掃除、力仕事に作品の運送……。直接カービングとは関係のないことまでふくめて、マイスターから全てを学んでいった。
「言葉では言えない営みまでを吸収してこそ、『カービングの呼吸』のようなものがつかめてきました」
その言葉は決して大袈裟ではない。コンマ3ミリという小さな世界でカービングは施される。繊細な、それはいわば「勝負」なのだ。
バスケットと呼ばれる編目や梨地といった柄が刻み込まれた金属の棒をハンマーで叩きながら模様をつけていくシェリダンスタイルカービングは、一言でいってやりなおしが効かない。しかし、美しい文様が生まれるのは、即興性をもった技からこそ生まれる。流麗で見る者の魂を釘付けにするかのようなあの世界観は、無想の境地でマイスターがハンマーを叩きおろすことで生まれるのだ。だからこそ、その『呼吸』の会得こそが肝心なのである。
「終らない世界だと思います」
日々、同じものはない。革1枚とっても同じものはなく、なめしや湿気などのコンディションも常に異なる。だからこそ大塚は常に革とまっすぐに向かい合い、マイスターから伝授された、いわば息づかいに神経を集中し作り上げる。世界に凡百のシェリダンスタイル風のカービングがはあるが、大塚のそれが抜きん出て美しいのはそのためだ。
ただ、アメリカ人達は本物に対しては先入観をあっさりと捨てた。XX年、並みいるアメリカ人マイスター達の中から、東洋人である大塚にXXXX大会でタイトルを授与されている。そして、マイスターがアメリカ人にすら譲らなかった道具を今大塚は手にしている。百年ほど前に作られた、ドン・キングという伝説のマイスターのツールだ。シェリダンスタイルカービングに大塚が選ばれたことを現す事実といっても過言ではない。そんな大塚の作るシェリダンスタイルカービングが日本で目の当たりにできる。日本にいる我々は実に幸運ではないか。
あえて言う。島崎清の作品を説明するのは野暮なことだ。島崎の手を通じて当たらし命をふきこまれた革は、あくまで粋に仕上がる。あれやこれや語る必要はない。ただ大事にしてやればいい。
島崎清が革にふれるようになったのは25歳の時だった。職人のスタートとしては決して早くはない。だが、彼はすでにこの世界では知らぬ者はいないほどの存在になっている。
はじめはキーホルダーがほしいと思って革を買って独学で作ってみた。だから、今でも
「趣味だから」と言い切る。潔い。そもそも、革を生涯の仕事に選んだ理由も
「作ってみたら面白くて興味がわいた。はじめたのが遅いかったから、上を目指すのは大変だと思っただよね。でも思ったよりも業界は大きいわけではない。100人抜きは無理でも10人抜きならできるかな、なんて気楽な考えからはじめたんですよね」
人には明かさぬ努力があったのは間違いない。それは島崎の作品を見ればすぐにわかる。だが、彼は苦労話などしない。あくまで「好きなことをやってきただけなんだよね」というスタイルを崩さないし、偽らざる心境なのだ。それは島崎の後進に対する姿勢からも明らかだ。
モノ作りの世界は、後から同じ世界に入った者には厳しい。いずれ独立して自分の腕一本で食べていくようになるのは容易ではない。師と仰がれる存在になれば、まずは後進にそれを気づかせるのは一種の優しさでもある。
だが、この世界で、すでにマイスターと呼ばれている者達から憧憬の目で見つめられつづけているのに、島崎清はまったく違う。 「現状で知ってることは全部教えてあげたいと思う」
長年かけて修得した技術は「目で盗め」といった不文律が当たり前の世界にあって、島崎の姿勢は異質だ。意匠、素材選び、裁断、縫い目――。島崎の作品はそのすべて卓越している。それをさらりと明かしてしまうという。驚嘆する。
たとえばそのステッチ。正確なピッチで縫われている。もちろん均等なピッチで縫い上げるだけならミシンにもできる。だが、それは文字通り機械的なものになってしまう。不均等な負荷がかけられた時に意外なほどもろい。一方、島崎のステッチはそんなものではない。それは、縫い込む際に、視覚、触覚、嗅覚までを使って一枚一枚異なる革の特性を感じられる、いわば選ばれた者にしかできない技だと言っていい。しかも、それをごく自然に、革と話しをするかのようにやりとげる。だからこそ、その糸の縫い目には、テンションの微妙な強弱や、ピッチには、見た目にはわからないほどごく微細に強弱がつけられ、おどろくほど美しい仕上がりになる。バッグのカーブやカービングの美しいグラデーション……どれ一つとっても、ため息がでるほどの美しさだ。そうした美しさを追求した結果として島崎の作品は、頑強にしあがり、当然、使い込めば使い込む程味わいが出てくる。そして、革にくわしくない人間が見ても「島崎の作品ではないか……」と気づかせる個性を漂わせるものになる。
だが、島崎は言う。
「職人にはなれないんだよね」
あらためて言うが島崎清には誰の目にもマイスターという名が相応しいことがあきらかである。これだけの技術、そして他者へそれを伝える自覚を持ちながら、そんなことを言うのは謙遜が過ぎると思う。だが、それはちょっと意味が違うのだ。
「今でも他人のために作っているという気持ちはない。自分が作りたいものを作りつづけているだけ」
だからこそ島崎は言う。
「つまり……趣味ではじまり趣味でおわりたいということなんです」
売るためにおかしくなる職人がいることはたしかだ。作家と呼ばれる人達のなかにもそんな人がいる。だが、島崎清は違う。趣味という言葉を使って、自分の世界を絶対にゆずらない。ただ、そんなことを大上段からは言わない。そういう人が作るものだからなのだ――島崎の作品が粋なのは。だから、あんまり語らず、使えばいい。そして大切にすればいい。
藤本昌悟の作る鞄は凛としている。美しいだけでない。決して奇をてらわず、オーソドックスで鞄らしい鞄であり、気品がある。そこにあるだけで美しく、新しいものであっても、その形が何世代も前から考案されてきた、そんな歴史を感じさせる。
だが、富士鞄工房の鞄は決して置物ではない。使ってみて本当のよさがわかる、実用品である。
藤本は、鞄職人に転じる前、アーチェリー選手として実業団チームに所属していた。
「まさか、鞄職人になるとは思ってもいなかった」
と笑みを浮かべて振り返るが、当時は、競技の練習とデスクワークに多忙な日々を過ごしていたのだからそれも頷ける。だが、そんな毎日があったからこそ藤本は革と出会えた。
ある日、アーチェリーで矢などをおさめて腰に巻いておくクイーバーと呼ばれる道具を作ろうと思ったのだ。手持ちのクイーバーが壊れた藤本はさっそく独学で勉強をはじめた。すると、すぐに手応えを感じた。父親も建具職人だという藤本のDNAが反応したのかもしれない。
「作ってみたら、革という素材自体に興味がわいてきた」
という。すぐに革細工の講座に通い始めるとめきめきと上達した。しばらくして、同じ競技をしている友人の結婚祝いに手製のクイーバーをプレゼントするまでになった。
競技に使うものだから、使い易さと頑丈さは必須条件だ。経験が浅いことは言い訳にならない。まして、実業団チーム、それもチームメイトがそれを使うとなれば、妥協のない実用性がなくてはならない。それを備えていなければ、ただの飾り物になってしまう。
もちろん藤本が贈ったクイーバーを友人は実際に使用した。それも長い間。それが、藤本のモノ作りの原点になった。
選手を引退した藤本はそのまま会社に残る道を選ばず、革を選んだ。修行をかさね、あのFUGEEなどでその手腕を磨いた後に独立。今では鞄好きなら誰もが知る存在になりつつある。だが、彼は言う。
「いくら追求しても終わりはないんでしょう。すでに仕上がったスタイルであっても、作り手次第でその仕上がりはまったく違います」
ダレスバッグやトランク、アタッシェケースなど、ベーシックな作りは共通しているから、遠目から一見すると同じように見える。だが、革の裁断、漉き方、縫い目一つでその仕上がりには雲泥の差がでることを藤本は知っている。作り手が自らの目と手を使って作ってはじめて、出来上がるものがあることを藤本は知っている。それは、彼がはじめから実用品、それも厳しい条件での使用に耐えることを目指してきたからだ。
だから藤本は笑う。
「しっかり作ろうと思ったら、流行を追う時間なんてないんですよ」
それはまさに道をきわめようとする者の言葉だ。一つの的を狙って、自分との戦いをつづけていくアーチェリーに共通するものなのかもしれない。だが、他人に耳をかさない頑固な職人などでは決してない。
「基本は使う人の目的にあったものを作ることだと思っています。ただ、一つだけ、僕個人として常に追求していることがあります」
なんだろうか?
「ずっと使われて、そして残っていくものを作ることです」
だから藤本の鞄は凛としている。使う人間の背筋が自然に伸びる。いい鞄とはそういうものだ。
すぐれた作品を目の前にすると、作り手の人柄を思い浮かべてしまうことがある。
だが、やってみて後悔することがままある。
頭に想像する作り手像はこちらの勝手な想像と希望が注ぎ込まれ、こうあってほしいという人物が思い描かれている。
作家と直接言葉を交わす機会は少ないが、幸運にして出会えた時、そんな想像が必ずしもあっていないことも少なくない。残念ながら落胆をおぼえ、それが作品への思いにも影響してしまうこともある。
――作品と人は別――
はるか昔からそんなことは当然の理として浸透しているし、実際にそんなことを気にする必要はない。たとえは極端だが、どんな悪人が作ったものでも、いい作品はいい作品には違いない。
だが、この人、馬場憲哉の手にかかったシルバーを手にとったとき、人はどんな人物像を思い描くのだろうか。
金属加工をする職人から耳にしたことがある。
「目をつぶって握ってみればいいものかどうか、腕のある職人のものかどうかはすぐにわかる。どんな金属でもそうだ」最初は何を言っているのかわからなかったが、実際に目をつぶって同じスカルのモチーフの指輪を目をつぶって触ってみたことがある。
一つはめりはりのない、塊にしか感じられなかった。そしてもう一つは、目を閉じていても、そのフォルムがしっかりと伝わってくる。
そしてもう一つの指輪を握りしめ、触れてみた。
職人が言っていたことの真意がわかった気がした。その指輪を指先でころがしてみてわかった。
ただものではない。
俗に「エッジが立つ」という言い回しがあるが、まさにそれを体感した。つまり、リングの、スカルの描く稜線が心地いいギリギリの丸みを残しながら切り立っているのだ。
少し話しをもどそう。シルバー職人と一口にくくっても、仕事の内容は細かくわかれる。最終的な形を作るだけでもシルバーアーティストを名乗っている人も多く、型から作り上げる職人はきわめて少数だ。
馬場は鋳造からシルバーアクセサリーを仕上げる。シルバーを溶解させて型からものを作り上げるのだ。だからこそ、その出来栄は、他の凡百のシルバーとは輝きもフォルムもまったく異なる存在感を得ることになる。
地球が生み出した銀という産物をどろどろに溶かし、その物質が生まれた時の状態にまで時間を巻き戻す。それはともすれば傲慢な行為にも思えるが、馬場がシルバーに接する時、その表情は柔和でまるで、言葉を持たない金属と会話をしているかのようだ。それは銀への尊敬の念にあふれていると言っていい。
「シルバーがそもそも持っているものを引き出す手伝いをするつもりで接したい。そうすることで、ぼくが作りたい作品に説得力が生まれるんじゃないかと思うんです」
馬場は言葉を選んで話す。ほんとうに思っていることを伝えたい、そんな心が伝わる。おそらく、その姿勢は馬場がシルバーと向き合う時のアティテュードと寸分違いない。
作り手の人間像そのものが、作品に投影されている。それが馬場憲哉のシルバーである。有機的で唯一無二の作品であることが一目で感じられるのは、そこに、馬場という人間の思いが、技を通じてこめられているからなのだ。こんなシルバー、そうはない。
「一発勝負」とこのマイスターは言う。たしかにそうだ。だが、彼の仕事を見ていて思うのは「一期一会」なのである。
「すでに作品として、ある意味完成しているものに手をくわえる。やりなおしがきかない」
彫金を生業にする冨田篤は笑顔で口にするが、それは冨田がその技術に自ら信頼をおいているからこそである。
シルバーなど金属に彫刻を施す。端的に言えば彫金とはそういう作業である。冨田は、他のアーティストが作った作品に、アーティスト本人はじめ、持ち手からのもとめに応じて、そうした彫刻を施す。それはすべて基本的には一点物と呼ばれるものがほとんどだ。たとえば、サイフに施すコンチョに彫金をもとめられる。フルオーダーでサイジングし革から選ばれた手縫いのサイフに、鋳造して仕上げたシルバーのコンチョがあしらわれる。いずれも一点物である。
「言い換えれば、そこにキズをつけることでもあるんです」
たしかに、たとえばAWAKEに集うアーティスト達の作品は、仕上げられた時点で圧倒的な完成度を誇るものしかない。そこに手を加えるという作業は、言ってみれば
「破壊でもあるんです」
だが、すべてのクリエイションは破壊から始まるということを冨田の作品を見た者は誰もが思い知らされることになる。
梨地と呼ばれる文様がある。おもに、大きなモチーフの空間を埋める地紋と思ってもらえればいい。細かな点で構成される、その文様は銀やさまざまな金属から輝きを奪うことでもある。人が手をかけて、金属にあたえた輝きをあえて破壊する。そういう作業を冨田はしている。
だが、その仕上がりを見て人は息を飲むのだ。
それまで金属として単純なツヤを発していた部分に、人間の技が注ぎ込まれた瞬間、それは文様という個性を身につけ際立つ。
感性と衝動が確かな技術と和声を奏でるかのように、冨田は躊躇うことなく文様を刻み込んで行く。その結果、金属には、その日、その時、冨田という最高のマイスターにしか作れなかった彫刻が施され、新たな生命が吹き込まれる。
実際に冨田の彫った彫刻をさわってみるとよくわかる。その刻み込まれた一筋一筋の手触り。たとえば木の葉のモチーフなら、その葉脈一本一本が指先にしっかりと感じられる。目で見てもわからないほどの細かな点の彫り込みの強弱が、反射する光のニュアンスを変える。陰影が目に焼き付き、誰の目にも、実は彫刻が施される前の状態は完成していたかのように見えて「未完成」であったことを頷かざるを得ない。
「彫ってみて金属の種類が解ることもある。気が抜けない」
冨田は言うが、たしかに、表面加工されたものにいきなり彫金をもとめられれば、それはもはや勝負に近い。だが、アーティストはただ一回のチャンスにそのすべてをかける。だから絶対に勝負に負けない。だからそれはもはや勝負ではない。
対象物を吟味する冨田は、触れて眺めてあらゆる知識を動員しつつ、あとは躊躇うことなく手を動かす。それはある極みに達した茶人の動きのようである。
「一期一会」
冨田の作品とその営みを見ているとそんな言葉が思い浮かぶ。その手から生み出されるのはすべて世界で一つしかない。時には、一点物をさらに一点物へと昇華させる。だから、手にする幸運にめぐまれた者もまた、一期一会を感じる、それこそが冨田篤の作品なのである。
ぬくもりは言葉にできない。だから伊藤信親の作品に接した者は時に言葉を失う――。
伊藤信親は、革という素材で作品を作ることで、それを手にする者を満足させつつ自己表現をなしとげている至高の作家達と出会って、自らもその世界に入った。
最高の技を持った人間達に出会っているから、その目は厳しい。素材も作品を見る目にも妥協がない。だが、なにより厳格なのは自らの仕事に対してである。
正直に言うが、伊藤の仕上げる革作品には、すでに他を圧倒している。
一針一針、丁寧に手縫いで仕上げる伊藤は、材料である革、糸、さらには革の漉き方、道具の選び方、コバに塗る素材…作品の仕上がりを逆算するように素材選びや手際を緻密に考えだし、熟達した手仕事で一枚の革を一つの作品へと導いていく。だが、伊藤は満足しない。つねに自分の作品に厳しい目をむけ、さらに上を目指す。伊藤が尊敬する作家達が自らの技術を磨きつづけているからかもしれない。
「発見がつきないんです」
伊藤は常にに素材と技術の可能性に言及する。もうこれ以上見つけられないのではないかというほど研究熱心な伊藤がそんな言葉を口にする。生き物から得られる革という素材を生かし切りたいという願いをいつも持っているのだ。だから自分に厳しい。
その厳しさは仕事に如実にあらわれる。それゆえ作品を手にした者はその仕事に心奪われる。
ステッチ一つととってもそうだ。誰にもまねできない。正確無比だ。
時に革の作品を評価する
「機械のように正確」
という表現を見かけることがある。手縫いでありながら、まるで機械仕掛けで仕上げたかのようにピッチが正確だという意味なのだろう。
だが、伊藤の作品を手にしてそんなことを思う者はいない。もちろん、寸分の狂いもなく縫い込まれている。完璧さは機械のよう――ではない。伊藤の技は、とうてい機械などに再現できるようなものではないのだ。
たとえば、サイフのカーブを描いた部分。そこで伊藤の手は自然に糸をすくう力を加減している。テンションの微妙な調節によって、耐久性も使い勝手も格段によくなる。ポケットの部分には眼には見えないゆとりをもたせつつ、本体と密着した仕上がりにする。細かな手技をあげれば枚挙に暇がない。はっきり言えることは、そういうことは、機械にはできない。
無論、伊藤の手仕事の中には、使う者、革に詳しくない者には、気づかない部分もある。だが、それは、一つの作品の中で、誰もが言葉を失ってもたしかに存在している。言葉にできなくても、伝わるもの――伊藤の作品には、鋭利なまでの精神を持った求道者が作り上げるものでありながら、厳しく技を追求する者の作品にだけに漂うぬくもりがあるのだ。
世の中には、いたらない技術を「味」として売っているものが数多くある。使う者の価値観がゆるす限り、そうした商品の存在意義もある。だが、手にした時に感じられるものは、比べてみればすぐにわかる。そこには、革のかたまりがあるだけだ。
だが、伊藤の作品には彼の作品にしかないぬくもりがある。それは使う者への媚やただ表面上の雰囲気などでは断じてない。圧倒的な技術に裏打ちされている。ただ、言葉にできないもの――いや、そのぬくもりは感じればいい。あとは言葉なんかいらない。